薬剤師×保育士のブログ 

薬剤師と保育士の両面を活かした内容の記事を書きたいと思ってます。主に子どもの薬について書いていこうと思います。

お薬手帳の重要性(3.11災害より学ぶ)

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*当店で使用中のお薬手帳の一部。

 リラックマが可愛くて女性に人気。

 

【東日本大震災】

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害です東日本各地に大きな揺れを引き起こし、大規模な地震災害であることから大震災と呼称されます。

 

2011年3月11日。

誕生日の3月12日に、九州縦断開通予定で話題となっていた新幹線「さくら」にのって、勤め先の熊本(水俣市)から実家の福岡に帰省することを楽しみにしていました。

しかしその前日、日本の歴史に残る大災害が起こりました。

 

 

 

地震発生時の私

当時私は患者さんのお宅に訪問し、お薬の説明をしている最中でした。

国会中継のカメラが大きく揺れて、患者さんと「大きな地震があったみたいですね」とその時はそこまで大事になるとは思っていませんでした。

 

しかしその後、薬局に帰るとスタッフが全員TVの前に集まってました。

 

「これは…大変なことになった」

 

……

 

 

 

「災害支援を行う薬剤師が必要だ」

 

と会社から連絡がありました。

 

私は使命感から自ら進んで災害支援に向かうことを決意しました。

  

今回はその時の記録がmixi(当時よく使っていたSNS)の日記に残っていたので、

日記とともに当時を振り返ります。

 

 

災害支援に出発した日(4月8日)

(題名)出発!2011年04月08日09:15

 

今、宮城に向けて出発しました。

メンバーは大阪民医連1名、大分民医連4名、熊本民医連1名、「日本プライマリ・ケア連合学会 東日本大震災支援プロジェクト」 より1名の、計七名です。

出発時、ヨウ化カリウムが配布されました。

福島で外に出る時は、放射線量を測ってから出るようです。 

出発当日の朝の日記です。

ヨウ化カリウムを服用する際、これから被ばくの恐れがあることを実感しました。

自分から進んで引き受けた災害支援でしたが、ここにきて正直怖かったのを思い出します。

 

災害支援1日目(4月9日)

 

(題名)支援一日目 2011年04月09日23:22

〇〇さんのアドレスありがとうございます。今日の支援報告です。

今日は多賀城中学校の避難所訪問をしました。私は医療チームとして参加しました。医療チームは医師二名、看護師二名、薬剤師一名です。
多賀城中学校支援チームで打ち合わせ後、タクシーで9時ごろ現地へ向け出発しました。10時ごろには薬の点検、薬局ブースの設立を行いました。
それから診察が始まりました。始めはずらっと患者さんが並んで待っていました。
午前中は八人ほどの服薬指導を行いました。4/7に大きな余震があり、度重なる被災にストレスも高まっているはずですが、薬の説明にもしっかり耳を傾けてくれて、「ありがとう!」と笑顔も見せて頂けてとても嬉しかったです。
持っていく薬は数や種類が限定されており(例えば血圧の薬はアムロジピンのみ)処方日数も基本的に三日のみと、患者さんのニーズに合わせた処方は難しいところですが、医師と相談しながら持って行った薬で対応しました。例外的に病院に帰ってから調剤して、持って行った薬もあります。
僕の父親ぐらいの年齢の人と服薬指導の後40分ほど話しました。その方は家が半壊して、二階だけが残った方でした。幸い家族は無事でしたが、隣人は殆どの方が亡くなったそうです。
また、医療チーム以外にも、子供遊ばせようチームが結成されました。
実は4/7の大きな余震の次の日、子供が刃物を持ち出し警察沙汰になったそうです。近くのブースの人から親の悪口を聞いたり、大声を出したら親に叱られたりして、子供にとって、特にあの場所はストレスの吐き出し口のない場所であるようでした。そこで、遊びの場を市から借りて、子供達を誘って、シャボン玉やビーチバレー、ハンカチ落としなどで一緒に遊んで遊んだところ、子供達は思う存分叫び、楽しみ
、笑うことができて、ストレスを発散できたそうです。それを見ていた親も始めは、「こんなに騒いで遊んでいいのか」と不安そうだったけど、子供達が楽しんでいる姿をみて、親のほうも安心したそうです。
色んな職種の色んな支援方法を見たり手伝ったりすることで、大変勉強させて頂いております。明日も避難所訪問頑張ります。

以上、事務局に送ったメール内容でしたー(笑)

 

当時私を派遣した事務局に送ったメール内容をそのまま日記に残しております。

 

最後(笑)をつけてますが、この時は寝袋で施設の裏口の床に転がって、持参したソーセージを一人心細く頬張りながら書いていた日記で、かなり不安が大きかったです。

 

身近な人や友人、職場の仲間から離れた場所で、一人で「何をすべきか」を考えなければなりません。社会経験の足りなさを実感しながらも懸命にできることを探しました。

 薬局ブース?

臨時の薬局のことだよ。災害チームで用意した物資(主に医薬品)を現地に持っていき、調剤と服薬指導を行うんだ。

臨時的に体育館に薬局(テーブルとイス+紙に薬局と書いた掲示をするだけ)を作り、

医師の指示のもと投薬を行いました。薬も限られた物資から選択するので医師から相談されたのを覚えています。

 

災害支援2日目(4月10日)

(題名)支援二日目2011年04月11日06:59

今日は多賀城中学校から多賀城体育館へ避難民の大移動をしました。天真小学校からの移動もあって、全部で535名が多賀城体育館に住むことになります。

今日の午前はその移動のお手伝いをしました。車イスを用意して、歩けない人を載せて体育館に移動したり、自衛隊の用意したトラックに、荷物を詰め込んだりと、医師や看護師も、医療系のチームもみんな運搬にまわりました。結構な重労働になったとは思います。

引っ越し直後の混乱も考えられましたが、現場の職員の了解を得てから、午後は移動先の体育館で、診療ブースを作りました。その正面に薬局ブースを作り、薬のお渡しを行いました。

今日は6年目の薬剤師さんと一緒に仕事ができたので、それもまた勉強になりました。明日はツバサ薬局に入りますので、本日来られた薬剤師に申し送りをしました。

多賀城体育館に関しては、今後、保健所の許可(県の許可)を得て、坂病院が医療の提供をしていけるかが1番のポイントになると思います。また、引っ越し後の疲労や砂埃などから来る新たな疾病への対処、インフルエンザ、ノロウイルスなどの蔓延予防など、課題は山積みです。
薬剤師もニーズに合わせて持っていく薬剤を選択する必要があると思います。

 

 

避難民を移動する際、車もない、道もない状況。

 

自衛隊が準備してくださったトラックに荷物を積み込み、高齢者の方を載せた車椅子をみんなで押しながら移動したのを覚えています。

 

行政からの許可がないと、医療の提供もできないため、適切な医療を提供するためにどう動くかを皆で話し合い、判断して働きかけるように現場は動いていました。

 

そこには医師、薬剤師、ケアマネージャー、看護師など職業の垣根など全くない状態で、皆が協力しあってました。災害チームのリーダーシップをとったのはお若く、行動力のある人でした。

 

 

災害支援3日目(4月11日)

支援三日目。2011年04月11日23:34 実は今日で支援終了なのです。

今日は多賀城市のツバサ薬局で調剤業務を行いました。私の勤めている薬局の処方枚数は一日約120枚なんですが、本日10時には、その枚数に到達し、目が回るような忙しさでした。
結局一日の処方枚数は500枚を超えました。また、先週の土曜日までは43日分以上薬が処方された時は30日分のみお渡しし、他は欠品扱いにしていたため、その欠品数分の調剤鑑査も加わりました。チラーヂンはサンドのレボチロキシンが入るということで、足りるそうですが、エンシュアやツムラの100などは、引続き欠品扱いにするようです。

夕方は再度余震があり、薬局内もガタガタと揺れました。蛍光灯の下にはいかないようにと支持され、身の安全をしっかり確保しました。
友人から高台の方へ逃げた方がいいという心配のメールももらいましたが、現場の判断では、津波注意報だから大丈夫とのことで、そのまま業務を続けました。

ある意味一番重労働だったと思います。
一分で2人の患者さんを捌き切れるわけもなく、どんどん山積みにされるカゴ。
指示系統の声は飛び交いますが、一切の余談も許されない機械的な従業員の働き。ピーク時は一日処方枚数が800枚に到達したとのことですので、息する間もなかったことだろうと思います。

薬局の人の話によると、
1、地震以来、停電の影響や支援物資の影響もあって、在庫管理が全く出来なくなった。現在目視でやっているので業務に負担増。早く棚卸ししたいが、する暇が無い。
2、同じ薬歴も散乱してしまい、ある程度片付けたが、新患が増えたことと、最近受診する患者数が増えたことで、薬歴がしまえなくなっている。昔の薬歴を他のスペースに移動しなければ行けないが、時間が無い。
3、ツバサ薬局の目の前に止まるJRが運行をストップしているため、電車通勤の人は自家用車で乗り合わせて通勤している。

少なくともこれだけの問題があり、支援の方向をよりニーズに応えた方向にしないと、結局オーバーワークになるのは避けられません。
例えば薬歴の整理では薬局事務の支援をお願いするなど、薬剤師以外の支援も必要になるかもしれません。

 

薬局としての機能が残っている薬局への支援をした日の話です。

 

この日の処方箋枚数は500枚。恐ろしいことに、1日の処方箋枚数が800枚の日もあったそうです。周りの病院や薬局が機能しなくなり、患者さんが局地に押し寄せたのが原因の一つです。

 

当然、薬剤師も被災しておりますので、通勤できない薬剤師もいます。

薬を届ける業者さんも同様です。

 

限られた資源・情報でいかに適切な医療を行うことができるかを常に考えます。

「日常」という言葉がどれだけ空虚なものに変換されていたか、この日記で思い出されます。 

 

お薬手帳の重要性

 

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津波や地震によって紙や電子データで保存していたカルテの破損や、紛失は起こり得ることです。今回の大地震でも、紙のカルテが津波によって流されてしまった病院がありました。

 

そんなときお薬手帳があれば、「どんな薬、どんな経緯で服用してきたか」が一目瞭然でわかります。お薬手帳はこれまでの薬の情報が明確に記録されており、「持ち歩くカルテ」の役割を発揮します。

 

特に高齢者になればなるほど、薬の種類が増え、「自分がどんな薬を飲んでいるかわからない」という方も多いですし、「一包化された薬の中身を知らない」という方もいると思います。必ずお薬手帳を持っておきましょう。

脳で記憶するよりも、お薬手帳を保存しておくことの方が、ずっと簡単です。

 

災害時だけでなく、ご自身が急に大きな事故にあって、緊急手術が必要になった際なども、「手術時に使える薬の判断」を迅速に行う事ができたり、入院時の一包化の判別が容易になったり、併用薬の禁忌の確認ができたりと、医療者側にとっても安心かつ、効率的に医療を提供できるため大変助かります。

 

お薬手帳は必ず持っておきましょう。

2回目以降同じ薬局にお薬手帳を持っていくと、お薬代もお安くなります。

 

 

 

 

震災はいつでも、どこでも、起こり得ることです。

 

過去の経験から震災に備え、準備をしておきましょう。

 

最後までご覧いただきありがとうございました🍀